御霊神社・落杣神社

御霊神社(ごりょうじんじゃ)


阪合部小学校北側の稲荷神社が御旅所となって行われる神輿渡御

【御祭神】
 井上内親王(いのえないしんのう・いがみないしんのう)
【縁起】
 聖武天皇の皇女で、第49代光仁天皇の皇后。当時、政権の中心にいた藤原百川朝臣が井上内親王親子の失脚を謀り、厭魅(人形を憎い相手に見立て、念を送って呪う)の罪で、皇后の地位を廃し他戸親王と共に宇智郡没官の宅に流罪、幽閉となった。775年、母子共に同じ日に逝去し、暗殺されたと伝えられる。
 井上内親王の逝去は無念の死であり、当時の人々は、都に相次いで起こった天災や悪疫の流行を、内親王母子の霊魂の祟りと恐れた。そこで、内親王を皇后の位に復して御墓を陵とし、さらに霊安寺や御霊神社を建て手厚く祀ったと伝わる。
 御霊本宮は、当時、宇智郡一円が氏子であったが、1238年(嘉禎4)、地元の豪族吉原・牧野氏論争に起因して宮分けが進んだ。宮分けされた御霊神社は全部で23社あったと言われ、ここ黒駒にもその1つが分祀された。阪合部郷の村役が、ご神体を駒の鞍につけ、黒駒の里にさしかかると駒は足を止めて動こうとしなかったと言う。御霊さんは、この地の森がお気に召されたとして、犬飼に祀る予定を変更し、落杣神社の森に祀ったと伝わる。
【祭典】
○例祭
 10月23日(現在は10月第4日曜日)、中町御旅所(稲荷神社)への神輿渡御(お渡り)が行われる。御祭神(井上内親王)をのせた神輿が御旅所に行くことを神幸(しんこう)、ここから帰ることを還幸(かんこう)、町内を練り歩くことを巡幸(じゅんこう)と言う。これらの渡御は、氏子である阪合部地区14の自治会が毎年持ち回りでとり仕切り、例祭のクライマックスとなる。戦後、五條市内各地の自治会が子供会向けの「曳きだんじり」を建造し、祭りを彩るようになったが、ここ阪合部地区でもいくつかの自治会が山車を所有し、町内を巡幸する。神輿渡御の当日の正午頃、各地区のだんじりは御霊神社に集合し、子どもたちの賑やかな声が例祭を盛り上げる。
○新嘗祭(11月23日)
○元旦祭(元日斎行) 
○祈年祭(2月中旬斎行) 
○月次祭



【文化財】

 本殿は一間社流造、桃山様式。1680年(延宝8)造営。平成5年、御霊神社本殿が県指定文化財に指定される。平成7年の台風で本殿が損傷したため、平成21〜22年に修復保存工事が行われ、平成23年に竣工祭が行われる。

落杣神社(おちそまじんじゃ)


かつて祭神が鎮座していた巨岩

【御祭神】
 大山祇命(おおやまずみのみこと)
【縁起】
 大山祇命は、イザナギノミコト・イザナミノミコト二神の御子。多くの山の神を総覧する山の神。この地では、古来、土地を支配していた豪族阪合部連が崇敬した海上守護神・農神・武神・木の神としても祀られている。
 「延喜式」の神名帳に記される式内社(しきないしゃ)で、平安時代(10世紀)、すでに官社として認定されていた由緒ある神社。御霊神社の東斜面に黒駒古墳があり、さらにその下の露出している巨岩に、祭神が鎮座していたとされるが、近年、御霊神社に合祀されることとなった。

境内には


「日露戦没紀念」の銘がある砲弾       黒駒古墳の横穴石室

【参考文献】御霊神社・落杣神社境内にある案内板

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