大塔町・西吉野町と合併する前の五條市は、奈良時代より宇智郡と呼ばれていました。明治になって、吉野郡、河内国の一部、紀伊国の一部を併せて五條県となりました。その後、堺県に組み込まれるなどの変遷を経て、昭和33年10月に五條市となり、平成17年には大塔村・西吉野村と合併し、新生五條市が誕生しました。
宇智の語源は、内氏がこの地を支配していたことに由来するようです。当然、その北側に位置する地域を北宇智と呼ばれたのでしょう。本校の所在地は近内町ですが、この近内という地名もまた、「ウチに近い所」という意味があります。
吉野川流域には多くの古代遺跡がありますが、北宇智の特徴としては他の地域に比べて古墳が多いことでしょう。荒坂峠付近には須恵器を焼いた窯跡もあります。地福寺の天壺、聖武天皇の皇女・井上内親王にまつわる伝説なども残り、歴史のある地域です。
農業を中心としたのどかな村でしたが、平成の世になってからは、テクノパーク(工業団地)や新興住宅地が完成。北宇智小学校の北側にも北宇智工業団地が開かれ、平成18年には京奈和自動車道の五條道路が開通するなど、新しい町づくりが進んでいます。
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