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大塔宮護良親王はどんなひと?
この写真の中央の馬にのっている人物は、大塔宮護良親王です。
感想
わたしは、大塔宮は、さいごには人質となり、敵につかまって鎌倉のろうやにとじこめられ、殺されてしまうので、ざんこくだと思います。そして、もし、大塔宮が大塔にこなかったら、この町は、大塔ではない町になっていたと思います。だから、大塔宮が、ここにきてくれて、本当によかっと思います。  
 大塔宮護良親王は後醍醐天皇の第三王子として京都に生まれました。
 親王は、小さいころから 比叡山で修業をしていました。大塔宮の母は北畠ちかこで、京極派の歌人として、名高い人でした。 
親王は学問にも武芸にも長けた人でした。
 
 後醍醐天皇は幕府をたおすため、神器をだいて京都を脱出しました。
 奈良の東大寺などの、僧兵をたよったが、断られ、京都山城の金胎寺にはいり次いで笠置寺にこもりました。そして、大塔や十津川にこられました。